最新更新日 2005年 8月 9日
ピアノや声楽などの音楽教師には、天才型と努力型の二通りがいると言われるのを耳にする事があります。
私は、この考えに全面的には賛成できませんし、その事と、演奏家としての実力は別だと考えますが、音楽教師の一面を上手く表現しているとは思います。
ある技術を習得するときに、特に考えずともすんなりできてしまう人と、理論を学び、試行錯誤を繰り返しつつ少しずつ身に付けていく人がいます。
その場合、意識せずにできてしまった部分で生徒がつまづいている時に、教師がその原因を推測できないという事はあるかも知れません。
ところで、先日、とある大学教授(声楽)の「発声セミナー」を見学する機会がありました。
その先生は独特の発声理論を持った方でしたが、要約すると、「自然な声の響きに耳を傾けよう」といった内容で、「自然な声で遠くへ呼びかける」とか、「身体全体で声を出す」という事を解説しながら、先生と有志の参加者が実演し、声の違いを聴かせていました。
話を分かりやすくする為、省略、誇張していますが、およそこんな感じです。
私は、半ば呆れながら一部始終を観ていました。この先生の言う自然とは一体何でしょう?自然さを比べる基準はどこにあるのでしょうか。
穿った推測かも知れないですが、ここでの自然さの基準とは結局、先生自身の声なのではないか。と、私は思います。または、先生が自然と認める声です。
この場合、自然=美しいという事ではないでしょう。上記のやりとりで言葉を置き換えてみても、当たり前の事を言っているに過ぎないです。そんな教えに価値はありません。
私がこのセミナーを問題視するのは、この教授法では、生徒が先生を超える歌い手になる可能性は極めて低いのではないか。と考えるからです。
私の考える良い教師の条件とは、生徒が自分で進歩する力を育てられる。という事です。
その目標が専門的であるほど、将来的に教師から離れても実力を維持、成長させられるようであるべきだと思います。
教師を離れた生徒は、教師から見れば商売敵です。その為、一部の教師は意図的に生徒が自分なしではいられないようにします。
また、日本の多くの音楽家は、現状として教える事を生業としなければ生活できません。
一時期の学校教育で問題になった、でもしか先生ではありませんが、教える事に喜びを見出さない教師、やる気はあっても教え方が分からない先生もいらっしゃいます。
実際、日本での音楽家事情は厳しく、それらの先生方も生活の為にされているのですから、一概に責める事はできません。
しかし、私としては、日本の音楽教育がより改善される事、それに私が何らかの形で貢献できる事を、強く願います。
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